懐旧

どうでも良いことを吐き出しています

10

生存

 

メンヘラだからすぐ記事を消してまう。でもまあ消えたところで別に問題ない。

勉強から離れても試験の夢をほぼ毎日見る。取り憑かれている。勉強はしたい、けどできなくてそのプレッシャーが余計に病を悪化させてしまう。だから勇気を出して今休んでるけどそれでも忘れられない。医師は今の状態ではそこから一度離れて、辛いと思ったら寝逃げするのが最善だと言う。実際この1週間くらいほぼ倒れてるけど、確実に苦しみレベルは低い。このまま治るならきっと次のステップに行けるけど、それは誰にもわからない、からこそ怖い。

例え今後最短で合格して仕事をしても、私みたいな豆腐メンタルが上手くやっていけるのだろうか。やってみないと分からないし何事も踏み出さないと変わらないと分かっているんだけど、現状とやるべきことの乖離が激しくて脳内ごちゃごちゃ大パニック。

心のどこかでこのままの微収入と貯金で適当に生きていって、詰んだら死ねばいいって思ってるところもあるのかもしれない。でも本当に私が欲しいのはそういう未来ではない。

自分にも他人にも負けたくないし期待も裏切りたくない。欲しいものは全部手に入れたい。幸せになりたいし家族を幸せにしたい。何をするにも困りたくないし、困らせたくない。余裕を持った心の広い人間になりたい。欲張りだと思われても別に良い。あり得ないくらい出遅れてるし落ちぶれてる生ゴミだけど、祖父母のようになりたい。

苦しいし辛いけど、もう少し頑張る。頑張れるはず。

 

09

生存中

 

もう全てが面倒だから安楽死したい。自殺する予定だけどぶっちゃけ怖いし、安らかに眠らせて欲しい。

スイスで300万くらいでできるって聞いて、いっちょやるか!って思ったけど精神病じゃダメみたい。しかも語学力が必要とか、外国人とぺらぺら英会話できるまで勉強する根性あるならもうその人は生きれるだろ笑

これから日本は衰退していく一方だし、どうせ生きてても私の世代が年寄りになった頃には若者ファースト老人は死ねとか言われて迫害されるんでしょ。そして移民による犯罪増加により下手に金持ってたら惨殺され強奪される。やだやだ。

別に本人が死にたいって言ったら死ねるような制度作っても良くないかい。生きたい人は生きれば良いし死にたい人は死ねばいい。苦しくて死にたいって言ってる人を無理やり生かすのはどうなのかなー。あと精神病を除外しないで欲しいなー。肉体的苦痛を基準にされたらそりゃアウトだけど、こっちはこっちでめちゃくちゃ苦しいんだよ。最近毎日のように電車に飛び込む事故が起こってるけど、そんなぶっ壊れ状態にさせるくらいなら国が救ってやってくれ。年齢制限とそこそこのお金払うシステムなら誰もが死ねるわけじゃなくなるし金も入るし、金ない奴が利用したければ金が貯まるまで頑張って働いてくれるし良いんじゃないの。

関係ないけど、友人の母の知り合い?で少なくとも二代に渡ってナマポで生きてるチンピラ家族が居るんだけど、どういう基準で審査に通ってるのか謎。何かのコネだとか言ってたから個人的には部⭐︎枠かなと。毎日元気いっぱいでパチンコ行って遊び回って散財してる奴を生かしてても意味なくね?死ぬまで働く気もないって言ってるらしいし。地元の友人の同級生のデブ親子も毎日のようにゲーセン行ってクレーンゲームして外食三昧みたい。どっちもちんで欲しい。そういう奴らみんなちんで欲しい。ムカムカする。お金は本当に必要な人に渡るべきだよ。

ならず者達に無駄遣いさせないために、食費にあたる何万円分かを配給制か近所のスーパーでしか使えない地域券に変えたら良いのでは?まともに生きてる人なら別に文句ないでしょ。

誰かがそういう人たちを擁護したり許したとしても、あたちは許せないよ。まあ私が許さなかったからどうなるって話でもないけどさ。もし私が政治家になって、思ってること全部主張したらおそらく各団体にフルボッコにされたのち何者かに暗殺されると思う。

 

おわり

08

生存中

 

鬱モードに入ってきて何もかも嫌になってきた。なんでこんなに鬱なのにご飯だけは一丁前に食べることができるのか。もう3日位何も食べるな。

祖父母が亡くなった時も、嫌だ私も死にたいよ〜とか言いつつ普通にご飯食べてたし。ショックで食べられなくなるとかなった事ないわ。第一志望の大学に1点差で落ちて発狂してた後も普通に食べてた。食うな。うつって食欲なくなるのも症状の1つみたいなのに、私は食べまくってるから偽うつなのかもしれない。

ところで、医師の従兄弟に勧められておすすめの精神科医が病気について解説するYouTubeを観た。幸せになれる言葉を教えてくださいみたいな質問で、小さなことでも良いことがあれば、嬉しいとか楽しいとかラッキーとか言葉に出して言うことで脳内物質がほにゃららって言ってた。

でも世の中には素でそういうことを言える人がいる。「四葉のクローバー見つけた!ハッピーだ♡」「休みの日にあったかい紅茶を飲むこの瞬間、幸せだあ!」「パン屋さんでパンを買ったよ、食べるのがすっごく楽しみ!!今日も頑張れるっ!」みたいな。

おめーどんな幸せな家庭で育ったらそんな純粋な気持ちで生きていけるんだよと思ってしまう。私の周りは基本的に家庭に難ありな友人が大半だったけど、その方々はそんなこと言ってるやつ1人もいなかったぞ。

思い返せば家族仲良しで幸せそうな家庭で過ごしてきた数人の友人はそういうタイプだった。奴らは生まれてきてから家族間において大した苦難を経験してこなかったから純粋で天真爛漫に育ったのだろうという説がある。自己肯定感も高そうだし。今も幸せそう。

私の場合は四葉だろうが三つ葉だろうがどうでもいいし(そもそも注目もしない)紅茶飲むのだって心は無だし、パンを買おうが米を買おうが何も頑張れない。ついでに何にしても反応が薄いって言われるし、自分なりに喜んでても嬉しそうじゃないって言われる。なんじゃこりゃ。心と共に顔も死んでるのか?

あーあ、私も些細なことでハッピーラッキーラブスマイルピースドリームって言える人間になりたいなあ。と言っても仕事辞めたノージョバーで常に倒れてるような奴にはそもそも些細な幸せも何も起こりようががないっていうね。あ、でも支えてくれるママンヌには感謝の気持ちしかない。それだけは幸せかな。父親だけでなく母親まで狂ってたら今はないし、私も狂って通行人を無差別攻撃するような危険人物になっていただろう。ありがとうママンヌ。ハッピーラッキーラブスマイルピースドリーム。

 

めずらしく感謝の言葉でおわり

07

生存中。

 

最近再び出没しているひょっこり自転車男って、以前逮捕されていたキモ男だよね、シルエット的に。知らんけど。ひょっこり中毒かて。キモ過ぎ。

もう、犯罪者と他者に迷惑をかけることしかできない人間は(私もか)某島に送って肉の壁として活躍してもらったらいいと思う。自転車も乗り放題、蛇行し放題だし。

あんな頭のおかしい(私もか)人間がうろうろしている現実が怖い。自分が躁状態で運転している時にあんなことされたら多分ブチギレて逆走しつつ追いかけ回して何回も轢いて逮捕される。ので、運転はしない。情緒不安定な人間だからちゃんと自制する。

 

昨日、実際に起こった事件について解説するポッドキャストを聴いていたのだけど、糖質が幻聴で指示されたとかで家族や近隣の人を殺して回った事件を知った。怖過ぎて震えた。

もし近所にそういう奴が潜んでいたら、ある日突然バットでボコボコにされた挙句めった刺しにされて死ぬかもしれないわけでしょ。そんなことで死ぬために被害者は生きてきたのか?そいつが存在しなければ平穏な生活が続いていたのに。

 

理不尽な理由で最期を迎える人を知る度に、何かしらの運命的なものを感じて嫌な気持ちになる。生まれた時からその結末は決まっていたのではないかとか。事故もそう、数秒の差で巻き込まれるか否かが決まっている訳だし。それまでの人生何のために生きてきたんだろうって思う。

最近はよく暴走老人にキッズや若者が吹っ飛ばされて亡くなってるけど、普通に行動していて車が逆走してくるとか突っ込んでくるとか思わないし。なんかなにもかも理不尽な世の中だな。もう無理だ。

 

でもまあ運命があるならそろそろ私に12億円が舞い込んでくる時期なんだよな。私にはわかる。あー困った困った。使いきれないまま寿命になっちまうよ。あの世には金は持っていけねえからなあ〜( > <。)

とか言っているのも他者から見たら異常者なんだよな。でも別にいいんだ。

 

おわり

 

06

生存中。

ちなみに宝くじは余裕で外れた。やはり神などいないので己の運で勝ち取るしかない。例え二千万分の一だかなんだろうが勝ち取るんだ!諦めるな!心を燃やせ!命を燃やせ!って思いながら辛うじて生きてる。いかに金の無駄だと言われようと私は戦う。ちょっとしか買ってはいないんだけど。乾坤一擲。

 

ところで私は注射が苦手だ。以前とんでもなく下手くそな看護師に5回も6回も点滴の針を刺すのを失敗されて、肘窩が紫色に腫れ上がったのがきっかけ。

血管が細いので(プライドのため付け加えるが決してデブではない)ルートの確保が難しいとは思うけど、無理なら他の人に頼むとかできないの?とか何で同じ場所ばっか刺してんの?と朦朧とした意識の中で思っていた。ごめんね〜取りにくいから。って人のせいにするな。歴が何年かは知らないけど、できないなら違う方法を探せばいいのに。練習台じゃないんだよ。

結局ベテランが来て一発でキメてくれた。翌日別の大きな病院に移動したんだけど、入院期間中めちゃくちゃ手が痛くて辛かった。

そこから注射恐怖症になって、針が見れなくなった。とある病気で水を何日も取れなくて死にそうになって夜間救急に連行された時も、血管が細くて腕から取れないとか言って手の甲に刺された上に失敗されて、もう恐怖で初めて手の震えが止まらなくなって、点滴をしている間もガタガタ震えるというクソみたいな思い出。手の甲の点滴って普通より痛いね。

うちのお婆様も血管が細くて刺されまくっていたらしい。また変なことばかり遺伝子してる。

だから採血部隊がいる病院は本当に助かる。

そして採血なり何なりの時、私が針からそっと顔を背けて、くっ...殺せ!みたいなオーラを出しているからか、大丈夫だよ〜注射苦手?痛いよね!大丈夫だよすぐ終わるから!はいチクッ、おわり⭐︎とかよく言われるけど、何歳までこんなキッズみたいな扱いをされるのだろうとふと疑問に思った今日この頃。私がワンチャン宝くじ大当たりしてうつも治って生き延びたとして10年後も(今の時点で既に痛い人なのに)赤ちゃんおばさんとして扱われて、痛いよね!大丈夫大丈夫♩って言われるんだろうか。想像すると大変恥ずかしい。

とりあえず今日採血してくれた人は上手だった。嬉しい。抜いた後に血が止まらないとかで苦戦してたけど痛くはなかったからもうどうでもいい。

 

おわり

 

 

 

 

03

生きています。

 

ゴールデンウィークは無職には辛い期間。

ついこの前まで、社会人だった頃はあんなにも楽しかったのに、今の自分にはただ苦しいだけ。

 

帰省して大はしゃぎしている家族連れを見ると情けなさが倍増する。

別に結婚願望もないし子供も嫌いなので、ああなりたいとは決して思ってはいないのだけど、幸せオーラと元気いっぱいさに圧倒される感じ。

何かを楽しめる元気とコミュ力があることが羨ましいし妬ましい。

そりゃ彼らにも辛いことだってあるだろうけどきちんと乗り越えて、正常なメンタルを維持できているからこそ今を楽しめている。

 

私は別に仕事が辛いわけではなかった。楽しくもなかったけど人間関係には恵まれていたと思う。

仕事終わりや休日には遊び回って楽しかった。

 

じわじわおかしくなっていく感覚は今でも覚えている。眠れなくなったり被害妄想や異常行動や希死念慮、少しずつ酷くなってきて。結局全部捨てて逃げ出してきた。耐えられなくなってしまった。

 

引越しの当日の夜、実家に帰る車の中で酷く体調が悪くなり、帰宅と同時にひどい嘔吐と頭痛、からの身体的病気の発見からの入院。ある意味タイミングが良かったので、その時はもしかしたらこうなるべくしてこうなったのかもとポジティブに捉えていた。

流れがあって、これからは上手いようにことが進んで幸せになれる予感がした。

まあ結果としたらそんなことはなかったんだけど。

 

うつは悪化して、色んな病気も出てきて、躁状態の時に散財して、発狂して精神がどん底に落ちて動けなくなったりして。

理解のある家族が居てくれるから辛うじて生きることが出来ているだけで、そうじゃなければとっくに消えていたと思う。

 

話は変わるが私はリストカットの様な自傷行為が理解できない。

死ねるわけでもないのに自分を痛めつけてどうなるんだろう。

ネットで調べたところ「自傷行為をすると、血液中にエンケファリンや β-エンドルフィンという脳内物質が分泌されます。この脳内物質が苦痛への鎮静効果となることから、身体への痛みがありながらも自傷行為を選択すると考えられています。」との事だが、

まずその手段を選ぶ過程がわからない。苦しい!辛い!でも生きたい!よし手を切ろう!痛い!すっきりする!って流れがよく分からない。

 

辛い気持ちはよく分かるけど、どうやったら体を切ろうという思考に至るのだろう。ストレスが溜まると突如切り裂きたくなるのだろうか。

そういうものなのだとしたら私はそんなにストレスも溜まってないし、うつでもないのか?と思ってしまう。絶対に無駄な痛みなんて感じたくないので。

 

まあこれはただの私の意見だからどうでも良いんだけど。でもその(辛い→自分を切り裂く)という思考の飛躍に関してはとても気になるところでもある。

 

中途半端な終わり方だけどもう言うことが思いつかないのでおわり。

 

02

今日も生存。

 

隕石でもなんでも降ってきて一瞬で世界が滅亡しないかなと思ったりするけど、結局そんなことはありえなくて、それなら自分が消えるしかないという結論に至るものの決行ができない。死ぬ死ぬ言ってるやつは死なないって聞くけど、自分みたい。口だけ。

 

私は首吊り死体の第一発見者になったことがあり、大変面倒な手続きをさせられたことがある。身なりをちゃんと整えた6、70代くらいの男性。

彼の姿を見ている内に、この人のとんでもない勇気と実行力にリスペクトを感じてしまった。彼に何があったかは知る由もないが、確かにやり遂げた。

死ぬ死ぬ詐欺のパフォーマンスでもなく、自分の意思で、誰に邪魔をされることもなく。

輪に首をかけた時どんなことを考えていたのだろう。

 

ところで私はあの世とか幽霊の概念が嫌いだ。

死んだら無になると信じているが、反面万が一存在したらと考えて怖くなる時がある。(それが私の踏み出せない理由の一つでもある)

だから今でもたまに現場に行き彼が吊られていた木を見てみるのだが、朝も昼も晩も、一度もそこに「いた」人間が薄ぼんやり立っていたことも気配を感じることも超常現象の発生もないのできっと幽霊なんかいない。大丈夫。彼は消えて救われたのだ。と思うことにしている。

 

自殺した人は死後ずっと同じ行動を繰り返し続けるだだとか、地獄に落とされるだなんだという各宗教のお説法は本当に反吐が出る。

何も悪くないのに病気や心ない他者からの攻撃、どうしようもない状況に苦しみ悩んだ末に辿り着かざるを得なかったとしたら、その人達にこそ死後とやらに救済があって然るべきなのではないか。

そんな理不尽な罰を与える力があるなら、最初から手を差し伸べてくれたら良いことなのに。